100日後に死んで生き返る私

50歳 ネガティブな生き方から脱却する

理想の夫 またまたリタ話 ※ネタバレ注意

 デンマーク製ドラマ「リタ」ファンの私が、これよ、こういうダンナさん欲しい! 理想だな、と思ったのが、ヤーディスの夫、ウフである。

 後半、相手の強いアプローチに一瞬不倫に走りそうになってしまうところはあったものの、それも自分でセーブしてヤーディスとの家庭を守りぬいたウフ。

 二人にしかわからない、共通のおタク系の趣味がある。ロード オブ ザ リングが好きでエルフ語で話したり、コスプレロールプレイにも参加している。

 そして、ウフは家事も育児も普通にできる。手伝うという感覚でなくあたりまえに。

 いつもヤーディスのことを気にかけ、必要以上に詮索はしないが、さりがなくサポートしたり、励ましたりする。

 この、気にかける。というのがポイントなのだろうな。

 大人のスマートさや余裕はないけれど、暖かくて、純粋な愛を感じる。

 ドラマ上の人物として、魅力的に描かれているのだろうけど、憧れる。二人の関係性に。

 それにしても、このドラマに登場する男性は、だいたい全員家事ができる。リタの元ダンナにはそういう描写がなかったけど。デンマークでは普通のことなんでしょうね。家事は女性がするもの、という感覚、固定観念がないように思える。

 就業時間や休暇、社会保障など、日本と単純に比べられない点は多いけれど、さすが幸福度ランキング上位の国です。

 

リタ (デンマーク発コメディドラマ)を見終わってしまった※ネタバレあり

 最近、愛着障害や人生再出発系の本を読みあさってるが、その合間に夢中で見てたのが、

 

www.netflix.com

https://www.netflix.com/jp/title/70285368

 

デンマーク発のコメディドラマで舞台は学校。リタは、教師である。

 

リタは、両親からの愛に恵まれず育っているので、愛着障害だと思う。教師になった理由は、

 

親から子どもを守るため。

 

リタの同僚で親友のヤーディスは、周囲に理解されない孤独な少女時代を送ったせいで、

 

そんな孤独を抱えた子どもたちを救い出す

 

ために教師になった。

 

最終的に二人で小さな学校を作るのだが、

私も、子どもの頃に、こんな先生に出会いたかったな、と切に思う。

私には恩師と呼べる人物がいない。

 

北欧の色使い、インテリア、ファッションもすごく素敵。リタ自体はスタイル抜群ながらおしゃれしないけどね。ヤーディスのワンピースはいつも可愛い。欲しい。

 

しばらくリタロスだわ。

難病再び…

高校3年生の時に難病にかかり、未来に絶望し毎日死ぬごとばかり考えていた私だが約一年の自宅療養後、復活をとげた。

 今思うと一年なんてあっというまで、浪人したら一年みんなよりスタートが遅れるわけだから大したことではないのだけど、当時は、挫折感と先の見えない不安感でただただ辛い一年だった。薬の副作用もひどかったし…。今のようにネットもなく情報もない。息苦しくなるほどぐるりと山に囲まれた場所では希望の光さえ見えなかった。

 

 そして、やっと一年遅れで親元を離れ社会にでて自立を果たしたが、いつからか願っていた場所への憧れが、どうしてもどうしても抑えられず、3年程働き、上京を果たした(高校3年時に内定していたのも東京の会社だった)。

 

 そして、病気は一度も悪化せず、薬も順調に減らせてついにゼロになった。寛解状態までもっていけたのだ。

 

 出会いもあり、30歳で結婚。

 34歳第一子誕生。

 

 一見、めでたしめでたし、のように見えるが心の問題は、じわじわと悪化しつつあり、ついに

 

 30歳後半、またしても別の

 

自己免疫疾患

 

 を発症してしまった。

 

 私も収入を得られるように、スキルを活かせるように復職できた矢先の出来事だった。約2ヶ月しか働けなかった。そして、ちいさい子どもを置いて3ヶ月の入院。挫折感というか無力感でいっぱいだった。

 

 振り返ると、私の間違いは、心の、精神の問題の正体を解決しないまま、結婚してしまったこと。途中、ダメかと思ったけど、そのまま継続してしまったこと。

 

 でも、時間は戻せないし、何より今、命より大切なものが私にはある。

だから否定はしたくない。でも、これ以上は無理だろう。

 

 心の問題を100%ではないにしても、理解してあたらしく生き直せるようにしたい。病気はまだ寛解していない。おそらく死ぬまで薬を飲み続けなくていけないだろう。それに、今、負のスパイラルを断ち切らないと、また、別の病魔に冒されるかもしれないという恐怖がある。

病気も愛着障害に起因していた!?

私が、愛着障害だとして、

 

こんなにもこじらせたのには、病気も大いに関係していると思う。

 

 自己肯定感の低さに加え、病気による挫折感(二度も)で、自分は何も上手くやれない…という負のスパイラルが加速し、決して停止しないままここまできてしまった。

 

 子どもの時、言葉や暴力で虐待を受けたことはない。豪華ではないにしても食べるものに困ったこともない。両親も揃っている。

しかし、家庭は落ち着ける場所ではなかった。父親は土建業を営んでいたが、事業は上手くいかず、いつもお金に困っていた。家が兼事務所だったので、人の出入りや電話も多く、帳簿もつけたり、神経質な父親はいつもイライラピリピリしていた。電話口で大声で怒鳴る。借金取りはくる…。

 

 そんな環境の家からやっと抜け出し、親にも負担をかけずに自立できると期待した高校3年の時、特定疾患に分類される難病に罹ってしまったのだ。4ヶ月の入院。その後の自宅療養…。

 

 決まっていた就職内定も取り消し。卒業さえ危うかった。そして家からは脱出できない。クラスメートの中で誰よりもこの閉鎖的な田舎を、家を出たかった私が。

 

 未来は完全に閉ざされた、と思った。

 

 しかし、そんな絶望を味わいながらも、それでも、入院費で親に負担をかけること(特定疾患なので後で戻ってきた分もあるが)や、病気になったのは体質と自分の行いや偏食(肉をあまり好まなかった)のせいではないかと自分を責めていた。

 

 そう、病気に

 

愛着障害が関係していたとは夢にも思わず…!

 

 本によると、

「心を悩ませるだけでなく、不安やストレスに対する抵抗力や、トラウマに対する心の免疫を弱らせることで、身体をも病魔に冒されやすくする」

 

↓以下のような

 

自己免疫疾患、アレルギー症状、うつ、摂食障害、大人のADHD境界性パーソナリティ障害気分障害など

 

自己免疫疾患

 

まさにそれを発症してしまったのだよ!

 

 私は、難病に罹ってしまって、両親に余計に経済的にも精神的にも心配をかけて申し訳なかったな…とさえ、ずっと思ってたのに。

 

 しかしながら、難病発症はこれで終わらなかったのだ…。

晩ご飯作れず…

昨夜は、晩ご飯をどうしても作る気にならず、かと言って何か買いに行く気にもなれず、レトルトなどで済ませてしまった…。育ち盛りの子どもたちよ、申し訳ない。

心の浮き沈みが激しい。昼間は割と元気でやる気あったのに、夕方からの落ち込みようが激しくて。

全く自分の精神状態の予測がつきません。

どうやら自分は愛着障害では、と思うに至り、過去のことを思い出すという、傷口をあらわにするという作業をしたせいなのか、持病からの不調なのか、その持病のために飲んでいる薬の副作用のせいなのか、はたまた更年期の症状なのか…色々考えられる理由があるので、さらに混乱してしまう。

死に至る病

最近、ネットで 

愛着障害

という言葉を見つけた。何かというと、精神科医 岡田尊司 著「死に至る病によると、幼い頃に適切な愛情を受けられなかったせいで、後々、心身にさまさまな症状をかかえ、生きづらさを抱えてしまうという障害だそうだ。

 

これを読み進めて驚いた。

 自分の自己肯定感の低さ、頻繁にやってくる死にたい、消えたいという希死念虜。それらは、こども時代に両親からもう少し自分に感心をもたれたかったという思いもあるが、虐待されて育ったわけでなく、結局自分の怠惰さからきているものだと、思っていた。

 

 しかし、本に書かれていたこと。色んなことがピタリとあてはまり、途中泣きながら読んでしまった。

 

↓以下、抜粋

 

 「自分のことを、愛される資格がない、生きる値打ちがないと思っているのには、その確信の根拠となる原体験がある」

 

「一番必要とした幼い時に、何よりも自分のことを優先し、気持ちだけでなく時間を手間をかけてくれたか」

 

 「自分自身のことや生活に追われて、どこか上の空であったというとき、幼い子は自分は一番大切な存在だ、ということを味わい損ねてしまう」

 

「自己肯定感は、これまでの人生の結果であり、原因ではない。一番大切な人にさえ、自分を大切にしてもらえなかった人が、どうやって自分を大切に思えるのかー」

 

 しかしながら、幼い時に様々な事情でそういう境遇に置かれてしまう子どもは沢山いる。その子たちが全員大人になって、死にたい消えたいと思いながら生きていることは決してない。どうやら、幼い時に欠けた愛情の部分を補う存在や環境、自分自身の努力の積み重ねで、そこから抜け出し生き生きと人生を送れる人達もいるのだ。

 

 しかし私は、完全に

 

  こじらせている。

 

 どんなふうにこじらせてしまっているか、整理していこうと思う。

100日後に死ぬことにした理由(ワケ)

 わたしがこうするしか道がない(一回ゼロにして再生してみること)と、思うに至った頃、誰もが驚いた、若い前途有望なイケメン俳優の自殺があった。ちょうどその何日か前、その俳優さんが出演する映画を観たばっかりだった。なぜ…。女優さんとか俳優さんとか、若くてあんなにもキラキラしている美しい方達が命を断ってしまうのか。報道を目にする度に、どうにかならなかったのだろうか…と惜しまれる。が、本人達にしか解らない苦悩は、どうしようもなく、心、精神を、死へ向かわせる衝動をもたらせるほどに弱らせ、光を、希望を失くしていったのだろう。

最後は、発作的だったかもしれない。

 

 自分が、何をやってもきっと上手くいかない、もう人生を終わりにしたい、と思っても踏みとどまっているのには、愛する子どもの存在がある。子どもに母親が自殺するという、ショッキングな思いをさせたくないからだ。どうにか生きていけても一生心に傷を負わすことになるだろう。それだけはさけねばならない。

 

 だけど、本当に辛くなる。自分がこんなに自己肯定感が低く、何より自分に自信が持てないのは、子どもの頃、親にあまり感心をもたれずに育ったからではないか、と考えたり。

 

 でも、そんな思考は無意味かも、と思うようになった。人間は誰しも一人。一人で生まれて一人で死んでいくのだから、。自分が自分を愛して励まして心を支えていくしかないのだ。

 

 じゃ残りの人生、死ねない死なないならどうする?

 

 生き直そう!

 

そして、カウントダウンは始まった。

 

どんな心身の状態で再生する?

誰も親は選べない。でも、大人になってからのゼロパースでー。成長を見守るのは、他でもない自分自身なのだ。だから、好きにできる。そして、責任も伴う。人一人をクリエイトしていくのだから。