情熱の炎は昔も今も燃えていなかった
ひとの記憶に残る作品を作ったり、賞賛されたり、感動させたりできる人達は、
情熱の炎を燃やして、ひたむきに頑張れる人たちなのだな。
作品だけでなく、芸能、物をつくる人、システムを考える人、世のためになることを考えて実行する…。大小に関わらず、情熱の炎を燃やせる努力のできる人たちなのだな。
と、そんなことを思った。
これまでの人生で情熱を燃やして生きれた瞬間などあったのかな。
出産の時くらいかな。絶対に無事に子どもを産むこと!
だけど、これは生きものである限り、本来備わっている本能ともいえるしな。
ほとんどは、死なないように生きてきた、という感じだった。
情熱の炎を燃やす努力を怠ってきた、放棄してきた人生。
自分が何も持っていないのは、そのせい。その結果が今なんだ。
そして、このまま、それを受け入れて死んでいく。
そんなとこだろう。もう若くもないし気力もない。
いつか死ぬ。いつ死ぬかわからない。明日かもしれないし、一年後かもしれない。
焦って自ら実行することはない。
自分がどんな人間であるか、知れば知るほど、どうでもよい存在に思えてくる。決して自分が嫌いということではない。自分が一番自分のことを大事にしようとは思う。前向きに考えてどうでも良い。ということだ。だから、自分を肯定して甘やかせて、できるだけ楽しく、好きに生きていきたいと思う。残りの人生…。
そんな自分は驚くほど鬼滅の刃にハマってるわけで…。
死にたくなってもありとあらゆる逃避思考、行動に切り替えることができるようになりつつある。